
高舘山はJR桑折駅の西方にある。ここは西山城跡でもあり、かつての戦国大名・伊達氏の本城があったところで、三方を産ヶ沢川に囲まれ城跡からは福島盆地(信達平野)を見下ろすことが出来る。この地で伊達氏は着々と実力をたくわえ東北地方第一の戦国大名へとのしあがっていくのである。城そのものは1189年(鎌倉時代)伊達氏初代朝宗(1129生-1199没)の築城と伝えられているが、桑折町教育委員会の説明文によると桑折西山城は室町時代に築城されたとされ、さらに登城口の案内板には「天文元年(1532)頃に陸奥国守護に任じられていた伊達稙宗(14代)が築き、天文17年(1548)に嫡男の晴宗(15代)が米沢に移るまで戦国大名伊達氏の本拠であった山城です。」とある。私のは受け売りだが歴史好きにはたまらない山城であることは間違いない。
西山城は、天文の乱終結の条件のひとつとして廃棄され、伊達氏は本城を米沢に移した。発掘調査で、この城を二度と使わないとの意思表示のように本丸表門の直前に石が積み重ねられていたことがわかっている。その後、江戸時代前期に福島15万石の領主・本多忠国が西館跡に築城を計画したが転封により実現はしなかった。また戊辰戦争のとき新政府軍からこの地の警護を命じられた仙台藩がここに砲台場を設けたとされている。歴史を辿りながら散策してみるのも良いだろう。
高舘山も今では桑折西山城跡として名前が広がり西山と呼ぶ人もいる。国土地理院の三角点の点名は高舘山である。近年は城跡の整備が進み、特に本丸跡周辺と平沢口の枡形虎口がきれいになった。テレビで紹介されたこともあり訪れる人も多い。桑折町生まれの私にとって半田山なども含めなじみのある里山のひとつである。
<山名> 高舘山(たかだてやま)桑折西山城跡 192.8m三等三角点峰
<山行期間> 2022年3月16日 (水)
西山城は、天文の乱終結の条件のひとつとして廃棄され、伊達氏は本城を米沢に移した。発掘調査で、この城を二度と使わないとの意思表示のように本丸表門の直前に石が積み重ねられていたことがわかっている。その後、江戸時代前期に福島15万石の領主・本多忠国が西館跡に築城を計画したが転封により実現はしなかった。また戊辰戦争のとき新政府軍からこの地の警護を命じられた仙台藩がここに砲台場を設けたとされている。歴史を辿りながら散策してみるのも良いだろう。
高舘山も今では桑折西山城跡として名前が広がり西山と呼ぶ人もいる。国土地理院の三角点の点名は高舘山である。近年は城跡の整備が進み、特に本丸跡周辺と平沢口の枡形虎口がきれいになった。テレビで紹介されたこともあり訪れる人も多い。桑折町生まれの私にとって半田山なども含めなじみのある里山のひとつである。
<山名> 高舘山(たかだてやま)桑折西山城跡 192.8m三等三角点峰
<山行期間> 2022年3月16日 (水)
<コースタイム>
観音寺駐車場(12:21)→大手口→砲台場跡(12:38)→本丸跡・高舘山三角点(12:45,12:52)→西館空堀→枡形虎口(13:15)→平沢口(13:24)→観音寺(13:41)+万正寺の大カヤ
<メンバー>
L和○、和よ
西山城跡に行くには桑折駅から南に下り万正寺の大カヤを目指す。車は観音寺の駐車場に駐めることができる。「桑折西山城跡」の説明板があり、その脇が大手門へ通じる登城口(大手道)だ。
桑折西山城跡の案内図

全体図を見ながら歩くルートを決める

大手道の入口

イノシシ避けの防護柵を抜けて散策路へ

窪地を行く大手道は整備されていないので現在は通行禁止

幅の狭い砂利道を進んで大手門跡へ

大手門跡の標柱と説明板

砲台場跡へ寄ってみる

大手道を進むと防護柵がある。イノシシなどの獣避けなので開けたら閉めるのを忘れないように。昔の大手道は窪地を行くが、散策路としては整備されていないので通行禁止である。山道から細い砂利道へ上がり大手門跡へと向かう。メインの散策路は大手門跡から正面の本丸表門へと続くが、砲台場跡へと寄り道してみる。
砲台場は尾根状台地の南端に土塁に囲まれた平場になっている。展望はすこぶる良く眼下に新幹線を見ることが出来る。まさかこの日に地震が起きて新幹線が脱線するなど思いもよらなかった。砲台場から切岸に沿って本丸へと歩いてみた。昔と違ってきれいに刈り払いがされているので気持ちよく歩くことができる。本丸跡の石柱の脇には1969年(昭和44年)に造られた「高館城址」の碑がある。ちょうど私が桑折駅に勤務していた時のことだ。時代によって赤館、高館、西館とも呼ばれた桑折西山城の本丸跡には主殿の遺構があり、検分された後に埋め戻されて立ち入って見学できるようになった。
高舘城址の碑と本丸跡の石柱

本丸跡は散策路が整備され素晴らしい展望台になっている

七曲道(搦手道)へ通じる本丸裏門跡

本丸主殿跡

点名:高舘山の三等三角点

本丸跡はきれいに整備され散策路もつくられている。まずは搦手道である七曲道へ通じる裏門跡を見学してから本丸主殿へ。この本丸主殿では伊達家の分国法「塵芥集」を定めたところとして紹介されている。説明板には復元想定図もあり昔に思いを馳せることもできる。
本丸西側の土塁と二ノ丸の境の空堀(堀切)散策路は農道跡

二ノ丸西端の土塁

一部に石垣の跡も見られる

本丸跡から空堀を抜けて二ノ丸へ向かうと西端には防御のための土塁が築かれている。その西側は「うぶかの里」から上がってくる砂利道になっているが、その道も空堀の跡だ。城跡は南西に向かって中館、西館とさらに続いている。
中館の平場

中館と西館の間に空堀がある

化粧道からの登城路には枡形虎口が

一部が石垣で出来ている西館の枡形虎口

中館と西館の間にも立派な空堀があって山城としては大規模だったことが良くわかる。農道や造林地などがあるのにこれほどしっかりした形で残っているのも珍しい。西山城跡のもう一つの見所が西館の「枡形虎口」である。最近、枡形虎口の形状を保存するために見学用の鉄製の階段が付けられた。一部が石垣で出来ているこの枡形虎口は山城としては貴重な遺構だ。枡形虎口は中館にもあって時間があればもっと歩き回りたいところだ。
農道を歩いて平沢へで出た

麓にある常称寺

車を置いてきた観音寺に戻った

万正寺の大カヤの木

西館の枡形虎口からは登城口のひとつである化粧道があるのだが、通れないので西館の枡形虎口を見学したら来た道を戻って大手道を下るか、平沢口へ下ることになる。今日は農道を歩いて平沢に出て途中ショートカットして民家の前を通り常称寺に出ることにした。道路挟んだ158m標高点は常陸館と呼ばれた館があったところだ。その他にも屋敷館跡や中城館跡などがあり住所の小字名からも歴史を辿ることが出来る。高速道路のある蛇屋敷を右に見て下ると車を置いてきた観音寺に戻ることが出来る。万正寺の大カヤは高速道路をくぐったところにある。
西山城跡に行くには桑折駅から南に下り万正寺の大カヤを目指す。車は観音寺の駐車場に駐めることができる。「桑折西山城跡」の説明板があり、その脇が大手門へ通じる登城口(大手道)だ。
桑折西山城跡の案内図

全体図を見ながら歩くルートを決める

大手道の入口

イノシシ避けの防護柵を抜けて散策路へ

窪地を行く大手道は整備されていないので現在は通行禁止

幅の狭い砂利道を進んで大手門跡へ

大手門跡の標柱と説明板

砲台場跡へ寄ってみる

大手道を進むと防護柵がある。イノシシなどの獣避けなので開けたら閉めるのを忘れないように。昔の大手道は窪地を行くが、散策路としては整備されていないので通行禁止である。山道から細い砂利道へ上がり大手門跡へと向かう。メインの散策路は大手門跡から正面の本丸表門へと続くが、砲台場跡へと寄り道してみる。
砲台場は尾根状台地の南端に土塁に囲まれた平場になっている。展望はすこぶる良く眼下に新幹線を見ることが出来る。まさかこの日に地震が起きて新幹線が脱線するなど思いもよらなかった。砲台場から切岸に沿って本丸へと歩いてみた。昔と違ってきれいに刈り払いがされているので気持ちよく歩くことができる。本丸跡の石柱の脇には1969年(昭和44年)に造られた「高館城址」の碑がある。ちょうど私が桑折駅に勤務していた時のことだ。時代によって赤館、高館、西館とも呼ばれた桑折西山城の本丸跡には主殿の遺構があり、検分された後に埋め戻されて立ち入って見学できるようになった。
高舘城址の碑と本丸跡の石柱

本丸跡は散策路が整備され素晴らしい展望台になっている

七曲道(搦手道)へ通じる本丸裏門跡

本丸主殿跡

点名:高舘山の三等三角点

本丸跡はきれいに整備され散策路もつくられている。まずは搦手道である七曲道へ通じる裏門跡を見学してから本丸主殿へ。この本丸主殿では伊達家の分国法「塵芥集」を定めたところとして紹介されている。説明板には復元想定図もあり昔に思いを馳せることもできる。
本丸西側の土塁と二ノ丸の境の空堀(堀切)散策路は農道跡

二ノ丸西端の土塁

一部に石垣の跡も見られる

本丸跡から空堀を抜けて二ノ丸へ向かうと西端には防御のための土塁が築かれている。その西側は「うぶかの里」から上がってくる砂利道になっているが、その道も空堀の跡だ。城跡は南西に向かって中館、西館とさらに続いている。
中館の平場

中館と西館の間に空堀がある

化粧道からの登城路には枡形虎口が

一部が石垣で出来ている西館の枡形虎口

中館と西館の間にも立派な空堀があって山城としては大規模だったことが良くわかる。農道や造林地などがあるのにこれほどしっかりした形で残っているのも珍しい。西山城跡のもう一つの見所が西館の「枡形虎口」である。最近、枡形虎口の形状を保存するために見学用の鉄製の階段が付けられた。一部が石垣で出来ているこの枡形虎口は山城としては貴重な遺構だ。枡形虎口は中館にもあって時間があればもっと歩き回りたいところだ。
農道を歩いて平沢へで出た

麓にある常称寺

車を置いてきた観音寺に戻った

万正寺の大カヤの木

西館の枡形虎口からは登城口のひとつである化粧道があるのだが、通れないので西館の枡形虎口を見学したら来た道を戻って大手道を下るか、平沢口へ下ることになる。今日は農道を歩いて平沢に出て途中ショートカットして民家の前を通り常称寺に出ることにした。道路挟んだ158m標高点は常陸館と呼ばれた館があったところだ。その他にも屋敷館跡や中城館跡などがあり住所の小字名からも歴史を辿ることが出来る。高速道路のある蛇屋敷を右に見て下ると車を置いてきた観音寺に戻ることが出来る。万正寺の大カヤは高速道路をくぐったところにある。
<GPSトラック> 往路=赤 復路=青
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