
今日は新潟県東蒲原郡阿賀町にある月山を登ってみることにした。御神楽岳や御前ヶ遊窟に向かう道路の分岐点にあり以前から気になっていた山でもある。山形県にある月山とは違って標高は336mと低いが山頂部は月山自然環境保全地域に指定され、ブナを主とする自然林により覆われている。また多数の鳥類をはじめとする動物の生息地になっていて確認された鳥類は約64種類、狭い地域にまとまって繁殖していることは極めて珍しく、他の地域でもあまり例がないそうだ。月山を登るだけだと3時間もかからないので、たきがしら湿原を散策し西山日光寺にも寄ってみることにした。
<山名> 月山(がっさん)336.4m二等三角点峰
<山行期間> 2022年5月20日 (金)
<コースタイム>
阿賀町上川支所(9:01)→廣瀬神社参道入口(9:08)→廣瀬神社(9:17)→247.6m四等三角点(9:30,9:35)→月山・月山神社(10:16,10:29)→小山・参道入口(10:49,11:00)→阿賀町上川支所
<メンバー>
L和○、和よ
今日は平日なので車は阿賀町上川支所に一声かけて駐めさせてもらった。月山には案内標識などは一切無いので初めての人だと登山口を探すのが大変だ。登り口を役場の職員の人に教えてもらい出発。今年はすでに上川小学校の子ども達が登っているのでコースは大丈夫でしょうとのお話しだった。
一声かけて阿賀町役場上川支所に車を置かせてもらった

御前ヶ遊窟、たきがしら湿原へ向かう道は左折、御神楽岳、月山登山口は直進

郵便局を右に見たら左の細い道に入る

高徳寺の前を通過

高徳寺の五つの石仏

村社廣瀬神社参道入口の鳥居から入る

遊具の脇を抜けて進む

シャガが花を付けていた

廣瀬神社へ石段を登る

エンレイソウ

村社廣瀬神社の右側を抜けて山道へ

小さな石の祠もある

まずは月山への登山口を探すことに。阿賀町役場上川支所から県道227号(室谷津川線)を南西へ進む。上川郵便局を右に見たら左の道に入り、高徳寺の前を過ぎると廣瀬神社参道の鳥居が左側にある。ここが入口だ。鳥居をくぐり遊具の脇を抜け参道を登って行く。長い石段を登って行くと旧上川村の村社廣瀬神社に着く。まだ歩き始めたばかりなので先へ進むことにしよう。
造林地の中を登って行く

途中にも石の祠が鎮座する

2箇所ほど堀切されていて山城跡のようだ

ブナも出てきた

四等三角点「点名:太田」

三角点ピークからの眺めは良い

麓の集落も見下ろせる

廣瀬神社の脇を抜けると参道から山道と言った感じになり、造林地の急坂を登って行くと小さな石の祠が出てくる。この辺から植生も落葉広葉樹に変わり新緑の中の静かな山歩きが楽しめる。尾根は狭くなり途中に堀切(横堀)された箇所があって山城跡のような感じもする。ブナも出てきた。上川支所から歩いて30分、四等三角点「点名:太田」に着いた。西側の展望が利き、遠くに雪の残った山が見える。方角的には日本平山になるのだが、初めて登ったのでイマイチ確信が持てない。汗を拭ってひと休みする。
尾根伝いにアップダウンを繰り返しながら月山を目指す

鬱蒼とした樹林の中だが振り返ると北側が開けて見えた

小山からの参道を合わせると月山神社が見えてきた

山頂にある二等三角点「月山」

野鳥の看板

月山動植物生息並び自生地の説明板

山頂に建つ月山神社


三角点からは尾根伝いに月山へと向かう。距離は短いがアップダウンを繰り返しながら尾根を進む、植生はブナを主とした混交林で、新緑の中の山歩きはちょっとした縦走の気分を味わうことが出来る。山頂手前で小山からの参道に出ると月山神社は目の前である。歩き始めて1時間15分で月山の山頂に着いた。山頂には月山神社と二等三角点「月山」があるが、残念ながら展望は良くない。神社の縁側(浜縁)に腰を掛けノンビリ休んでから小山へ向けて参道を下ることにした。
今日は平日なので車は阿賀町上川支所に一声かけて駐めさせてもらった。月山には案内標識などは一切無いので初めての人だと登山口を探すのが大変だ。登り口を役場の職員の人に教えてもらい出発。今年はすでに上川小学校の子ども達が登っているのでコースは大丈夫でしょうとのお話しだった。
一声かけて阿賀町役場上川支所に車を置かせてもらった

御前ヶ遊窟、たきがしら湿原へ向かう道は左折、御神楽岳、月山登山口は直進

郵便局を右に見たら左の細い道に入る

高徳寺の前を通過

高徳寺の五つの石仏

村社廣瀬神社参道入口の鳥居から入る

遊具の脇を抜けて進む

シャガが花を付けていた

廣瀬神社へ石段を登る

エンレイソウ

村社廣瀬神社の右側を抜けて山道へ

小さな石の祠もある

まずは月山への登山口を探すことに。阿賀町役場上川支所から県道227号(室谷津川線)を南西へ進む。上川郵便局を右に見たら左の道に入り、高徳寺の前を過ぎると廣瀬神社参道の鳥居が左側にある。ここが入口だ。鳥居をくぐり遊具の脇を抜け参道を登って行く。長い石段を登って行くと旧上川村の村社廣瀬神社に着く。まだ歩き始めたばかりなので先へ進むことにしよう。
造林地の中を登って行く

途中にも石の祠が鎮座する

2箇所ほど堀切されていて山城跡のようだ

ブナも出てきた

四等三角点「点名:太田」

三角点ピークからの眺めは良い

麓の集落も見下ろせる

廣瀬神社の脇を抜けると参道から山道と言った感じになり、造林地の急坂を登って行くと小さな石の祠が出てくる。この辺から植生も落葉広葉樹に変わり新緑の中の静かな山歩きが楽しめる。尾根は狭くなり途中に堀切(横堀)された箇所があって山城跡のような感じもする。ブナも出てきた。上川支所から歩いて30分、四等三角点「点名:太田」に着いた。西側の展望が利き、遠くに雪の残った山が見える。方角的には日本平山になるのだが、初めて登ったのでイマイチ確信が持てない。汗を拭ってひと休みする。
尾根伝いにアップダウンを繰り返しながら月山を目指す

鬱蒼とした樹林の中だが振り返ると北側が開けて見えた

小山からの参道を合わせると月山神社が見えてきた

山頂にある二等三角点「月山」

野鳥の看板

月山動植物生息並び自生地の説明板

山頂に建つ月山神社


三角点からは尾根伝いに月山へと向かう。距離は短いがアップダウンを繰り返しながら尾根を進む、植生はブナを主とした混交林で、新緑の中の山歩きはちょっとした縦走の気分を味わうことが出来る。山頂手前で小山からの参道に出ると月山神社は目の前である。歩き始めて1時間15分で月山の山頂に着いた。山頂には月山神社と二等三角点「月山」があるが、残念ながら展望は良くない。神社の縁側(浜縁)に腰を掛けノンビリ休んでから小山へ向けて参道を下ることにした。
小山から登ってくる参道

落葉樹と常緑樹が混在する混交林

やがて造林地に変わる

尾根から右に折れ緩やかに造林地を下って行く

阿賀町教育委員会が立てた月山動植物生息並び自生地の標柱

参道入口には「新潟県森林浴の森百選」の標柱が立っていた

タニウツギ

地形図には記載されていない舗装された農道を歩いて道路へと出る

道路に出たら松ヶ丘団地を目指す

オオカメノキ

ツツジも咲く

県道に出たら右に折れる

松ヶ丘バス停

上川支所に戻る

落ち葉に埋もれた石段の参道を下って行く。山頂部は落葉広葉樹、常緑針葉樹が混在する自然林で下るにつれてヒノキの造林地になる。尾根から右に折れて緩やかに下ると舗装された農道に出る。入口には「新潟県森林浴の森百選」の標識があった。この山には特に案内板は無く、これが初めて見た標識である。
舗装された農道を緩やかに北西へと辿るが、山地災害危険地区の看板ある三叉路から左に折れる。地理院地図に歩道記号のある右の農道は行き止まりとなる。車道に出るには舗装された農道を忠実に進むと良い。車道に出たら松ヶ丘団地の脇を通り県道227号(室谷津川線)に出たら右に折れると30分ほどで上川支所に戻ることが出来る。花の写真などを撮りながらのんびり歩いても2時間40分ほどの山行だった。
<GPSトラック> 往路=赤 復路=青
舗装された農道を緩やかに北西へと辿るが、山地災害危険地区の看板ある三叉路から左に折れる。地理院地図に歩道記号のある右の農道は行き止まりとなる。車道に出るには舗装された農道を忠実に進むと良い。車道に出たら松ヶ丘団地の脇を通り県道227号(室谷津川線)に出たら右に折れると30分ほどで上川支所に戻ることが出来る。花の写真などを撮りながらのんびり歩いても2時間40分ほどの山行だった。
<GPSトラック> 往路=赤 復路=青
たきがしら湿原
たきがしら湿原は数十種類以上の湿性植物と動鳥類などが生息する人工湿原で、春から夏にかけて様々な花を楽しむことが出来る。上川支所から13キロほどのところなので月山を登り終えてから寄ってみた。園内は車いすで散策できるコースもあり、散策路の途中にはテープルや椅子もあるので、花を見ながらコーヒーを飲んでノンビリした時間を過ごすことが出来た。
たきがしら湿原

ミツガシワが見事

木道が整備されて車いすでも散策できる

ミツガシワ

リュウキンカも見頃


西山日光寺
最後は旧津川町にある西山日光寺に寄ってみた。山門には木造金剛力士像2躯があり新潟県の指定文化財にもなっている。この金剛力士像は会津東山東光寺(現羽黒山神社)にあったものを廃仏毀釈に伴って日光寺が譲り受けたもので、津川はかつては会津領であり歴史のうえから頷ける。近くには子どものころ水遊びをしたことのある旭滝があるので寄ってみたかったが、今ではヤブも被さりヒルもいるとのことなので諦めることにした。
今では林道で山門まで行ける

参道を進んで薬師堂へと向かう

2つ目の山門は鐘楼で「薬明院」と掲げられている

小さな石の祠も鎮座する

薬師堂

薬師堂の略縁起(薬師堂の歴史)

住居を兼ねた今は無住職となった日光寺(庫裏)

子どものころはもっと大きな建物だと思っていた

歴代住職の墓地へ向かう

歴代住職墓地

この西山日光寺は、かつて叔祖父が住職を務めていて、小学生の夏休み、私に登山とスキーを教えこんだ従姉と一緒に過ごしたお寺でもある。当時は津川駅から8キロほどの山道(参道)を歩いて登ったが、今では林道が出来て車で山門まで行くことが出来る。山門から参道を進んで鐘楼門をくぐると奥の院である薬師堂がある。過去3度の火災により現在のお堂は明治41年に再建築されたもので、十二支の彫刻は見事である。
薬師堂から振り返って下を見るとシャガの花の先に日光寺の庫裏が見える。子どもの頃は大きくて広かったように思っていた建屋だが、今しみじみ見てみると意外と小さい。子どもの頃の記憶とはそんなものだろう。
裏山の斜面に歴代住職の墓地があるので登ってみた。十基の墓石が並んでいて中に叔祖父の墓もあった。福島で生まれた叔祖父がどのような経緯でこの地の住職になったのかは祖母や両親が亡くなった今では知る由も無いが、叔母の結婚式に福島に来てその夜に心筋梗塞で亡くなったことは記憶している。墓石の後ろには「当山第43世 観心院大僧都元海大和尚 昭和40年3月27日寂 世寿48才」とあった。間違いない。建てられたのは38年後の平成15年、すでに叔祖父ことなど忘れられたものと思っていたが地元の人たちから大切にされ墓石まで建ててもらっていたことに感激である。
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